ソラマメブログ

2009年06月12日

Hyperformalism訳 2009

↓Hyperformalism美術館展 会場全景。256m立方のスペース三層。Hyperformalism訳 2009
↓Oberon Onmura(上)、Selavy Oh(中央 円)、comet Morigi(下 パーティクル)
Hyperformalism訳 2009

Hyperformalism美術館展のノート日本語版を、以下の通り訳しました。今回は、訳元ノートに併記される日本語版です。ブロガー(第三者)としての訳ではありません。

訳の始まり

ハイパーフォーマリズム美術館は、PiRatsアートネットワークの厚い招きにより、展覧会を開催します。出品は、Selavy Oh、Oberon Onmura、 comet Morigi。ヴァーチャル・ネイティブ・アートとアーティストについて、私たちの美術史的展望を、継続するものです。

φ Hyperformalism at PiRats Art Network (122, 130, 29)


主旨・日時:

日本時間2009年6月8日朝5時、オープンする展覧会を飾るのは、エキサイティングな新しいアーティストたち。人の姿や物質界を参照しない、抽象作品を制作しています。
ネットワーク・ソフトウェア・ワールド「セカンドライフ」を経て、観客に配信されるヴァーチャルリアル。そのように語られてきたシミュレーション空間の状況にあって、ご覧頂く取り組みは、歴史的に重要かつユニークであります。


展示解説:

アーティスト Selavy Oh、Oberon Onmura、comet Morigi らは、本展に先立ち2008年、混成現実プロジェクト「ブルックリンは見ている」に、発表していました。そこに、この新しいネイティブ作家層が在って、物質界を参照しながら作るアーティストらと、一線を画していました。
(↑ポッドキャストの一例)
「ブルックリンは見ている」の創設者 Jay Van Buren に、感謝します。彼は、セカンドライフにおける美術の場を提供し、プログとウィークリー・ポッドキャストから、ヴァーチャルアートについての健全な対話を支えてきました。
本展の意図は、Selavy、 Oberon、cometらの仕事を、さらにフォーマルな文脈に置いて、ヴァーチャル界でこそ可能な質を、ゆっくりご覧頂くことにあります。


Hyperformalism訳 2009(↑Overon Onmura 触れると消えるパネル、風速で発色する。)

3アーティストは、 物質界を必ずしも参照しない制作で共通する一方、その方法においては大きく異なります。Selavy Oh と Oberon Onmura は、リンデンスクリプトからプラトン的形体を動かす点で、見かけ上、似ています。両アーティストを分けるとすれば、Oberonのアプローチが、より現象学的に映るのに比して、Selavyが作り上げるものは、概念芸術史の事例に、より根ざしています。両者とも、シンプルな形態に社会性を与えています。形態的に物質領域を参照することが、ほとんど無い一方、見る側とのインタラクションを意図した制作は、社会的領域に触れています。ほとんどの作品において、両アーティストは、見る側の参加を、求めています。

(↓Selavy Oh 展示ゾーン Selavy自身のFlickrより)Hyperformalism訳 2009

見る側に求められる参加は、作業空間ヴァーチャル・シミュレーションの概念的要件に関わる、決定的な違いです。対して、ビデオのような一点透視型メディアにおいては、見る側が、決められたカメラの単一視点しか体験できません。これが、ヴァーチャルメディアの決定的な違いです。多次元を現す・どの角度からも見られる・ヴァーチャリティを問う制作によって、本展全アーティストが、この新しい基盤を探究しています。

(↓comet Morigi 気図-Wind Map 302m四方 sim全体の気流を可視化)Hyperformalism訳 2009
Comet Morigiは、三人の中で、異色です。Cometの仕事は、スケールの使用と、シミュレーション空間の現象学へ向けた洞察により、新たな空間的文脈を作ることで、ヴァーチャル空間におけるユニークな状況から、異なる位相を発掘します。
SelavyとOberonのように、cometも、ヴァーチャル界の人工芝をはぎ取って、模造「気」流のような、セカンドライフ・シミュレーションに現れる事物の、新たな用例を探究します。

これら3アーティストは、ヴァーチャル空間の本質へ向けた洞察を、見る側にもたらすのであります。親しみ易さへの誘惑に抗して。物質界の雲・水・地をわざわざ粗野に修正する、上滑りな手管を、切り開いて。

カバラ教徒ら神秘主義者の言葉を借りるなら、人間は、物的に現実を認識できません。会得し「知る」には、とにかく心身が不充分なのです。

それでも、明らかなことが、あります。それは、
既知を焼き直す安易に報われそうな趨勢に抗し、ヴァーチャリティに光を当てるSeravy、Oberon、cometのような者たちの芸術を通して、
私たちが、この共感型ネットワーク環境を、もっと理解できる、
ということです。


末筆ながら、本展を支えてくれたMerlina とNewbab、その献身的な展示と、PiRatsアートネットワークを通じたプロモーションに、謝意を表します。

キュレーター DanCoyote(SL名)こと DC Spensley

φ Selavy at PiRats (28, 123, 2748)
φ Oberon at PiRats126, 33, 3004)
φ comet at PiRats (32, 118, 2499)



訳の終わり

挿入図版とキャプションは、当プログが独自に付加したものです。

前回展ノート Hyperformalism 2008 の訳は、こちら。

関連記事は、タグ Hyperformalism から。

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Posted by comet/コメット at 21:39│Comments(0)
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