2008年07月18日
なぜ、取り込んだ絵は、薄く見えるか
あるプログで、インワールドへ取り込んだ絵が薄く見える指摘を見かけて、思うところを少々。
SLビュアーが両眼視対応になったら、取り込まれた油絵画像の薄さは、ますます際立つでしょう。
三次元空間に平面を置いて、初めて厚みゼロの異様さが現れます。
SLビュアーが両眼視対応になったら、取り込まれた油絵画像の薄さは、ますます際立つでしょう。
三次元空間に平面を置いて、初めて厚みゼロの異様さが現れます。
人間(前方二眼動物)が、奥行きを認識する方法は、優先順に、
1.頭が振れたときの(時間的)視差、
2.両眼視差
3.眼球の焦点調節に伴う筋肉の緊張
です。優先順位は、視差の大きさに比例しています。
SF映画定番(MATRIX!!)、敵機や戦況がディスプレイの中でぐるぐる回りながら表示されるのは、「頭が左右に振れたときの視差」に準じた方法で見せているわけで、これはSLビュアー現状でも同じです。
こんな視覚心理学の学生向け実験教材が有ります。小窓から覗くと、取りあえず対象物2個の遠近が解る。ところが、のぞき窓を自分の目と一緒にスライドさせてやると、突然遠近が逆転してしまう。近くのマッチ棒は荒い質感の材木のように拡大されて遠のく。遠くのタバコの箱は、人形の家の小道具のように縮小しながら迫ってくる。止まると夢から覚めたように、また遠近・大小が元に戻る。
この手品では、窓のスライダーと対象物が連動して視差を逆転させます。遠くのものを速い視差(角速度)・近くのものに遅い視差を与えているので、優先順に従い、脳は「頭が振れたときの視差」で視界の遠近を解釈します。
SLビュアー・カメラをマウスで振っても、同じ遠近の解釈が成り立ちます。
では、なぜインワールドに取り込まれた絵が、突然のように薄く見えるのか。美術全集やハイビジョンで見ているときと比べても、奇妙に薄く見えてしまう。
私なりの答は、「インワールドでは、厚みが有るから」です。
厚みの無い世界では、薄いか厚いかは、解釈のしようが無い。ハイビジョンや美術全集向けに複写された絵は、二次元の中に二次元の絵を入れてあるので、厚みも薄さも見えません。見えないと言うよりは、認識する状態に無い。厚みを問う情報形式に無い。ここで問われたり感じたりする厚みがあるとしても、例えるなら「人格の厚み」のような厚さでしょう。
緑内障は視野が欠ける病気です。恐ろしいのは、視野の欠落が見えない、欠けていること自体が、見えないことです。だから自覚が遅い。欠けた視野が黒く見えることは無い。なぜなら、黒く見えるのは、黒が見えるからで、視神経が麻痺した部分では、黒とか暗いとか惚けたとかの認識も無い。
SLの複製画に比べて、印刷図版の薄さが認識されてこなかったのは、それが純然と二次元で完結した領域だったからだと思います。
取り込み後の人為的な加筆で、光沢を付けたり凹凸を施すのは、観光土産のような粗悪品になりがちでしょう。木の板に薄く滑らかに塗られたはずのモナリザを、荒い布にプリントして木枠に張り、透明ジェルやプレスで絵具を厚々と見せ「原画を忠実に再現」と称する。そのような発想が、ギャラリー多数派であることも、事実です。決まって彼らは「ビジネスでは、絵画を、一般の人にも解り易く見せなければ」と言う。
油絵が厚くなったのは、油絵の歴史500年の内せいぜい最近1世紀半のことです。自分にとっての「絵らしさ」が、より客観的な意味での絵画たり得るかどうかが、ここで問われると思います。
1.頭が振れたときの(時間的)視差、
2.両眼視差
3.眼球の焦点調節に伴う筋肉の緊張
です。優先順位は、視差の大きさに比例しています。
SF映画定番(MATRIX!!)、敵機や戦況がディスプレイの中でぐるぐる回りながら表示されるのは、「頭が左右に振れたときの視差」に準じた方法で見せているわけで、これはSLビュアー現状でも同じです。
こんな視覚心理学の学生向け実験教材が有ります。小窓から覗くと、取りあえず対象物2個の遠近が解る。ところが、のぞき窓を自分の目と一緒にスライドさせてやると、突然遠近が逆転してしまう。近くのマッチ棒は荒い質感の材木のように拡大されて遠のく。遠くのタバコの箱は、人形の家の小道具のように縮小しながら迫ってくる。止まると夢から覚めたように、また遠近・大小が元に戻る。
この手品では、窓のスライダーと対象物が連動して視差を逆転させます。遠くのものを速い視差(角速度)・近くのものに遅い視差を与えているので、優先順に従い、脳は「頭が振れたときの視差」で視界の遠近を解釈します。
SLビュアー・カメラをマウスで振っても、同じ遠近の解釈が成り立ちます。
では、なぜインワールドに取り込まれた絵が、突然のように薄く見えるのか。美術全集やハイビジョンで見ているときと比べても、奇妙に薄く見えてしまう。
私なりの答は、「インワールドでは、厚みが有るから」です。
厚みの無い世界では、薄いか厚いかは、解釈のしようが無い。ハイビジョンや美術全集向けに複写された絵は、二次元の中に二次元の絵を入れてあるので、厚みも薄さも見えません。見えないと言うよりは、認識する状態に無い。厚みを問う情報形式に無い。ここで問われたり感じたりする厚みがあるとしても、例えるなら「人格の厚み」のような厚さでしょう。
緑内障は視野が欠ける病気です。恐ろしいのは、視野の欠落が見えない、欠けていること自体が、見えないことです。だから自覚が遅い。欠けた視野が黒く見えることは無い。なぜなら、黒く見えるのは、黒が見えるからで、視神経が麻痺した部分では、黒とか暗いとか惚けたとかの認識も無い。
SLの複製画に比べて、印刷図版の薄さが認識されてこなかったのは、それが純然と二次元で完結した領域だったからだと思います。
取り込み後の人為的な加筆で、光沢を付けたり凹凸を施すのは、観光土産のような粗悪品になりがちでしょう。木の板に薄く滑らかに塗られたはずのモナリザを、荒い布にプリントして木枠に張り、透明ジェルやプレスで絵具を厚々と見せ「原画を忠実に再現」と称する。そのような発想が、ギャラリー多数派であることも、事実です。決まって彼らは「ビジネスでは、絵画を、一般の人にも解り易く見せなければ」と言う。
油絵が厚くなったのは、油絵の歴史500年の内せいぜい最近1世紀半のことです。自分にとっての「絵らしさ」が、より客観的な意味での絵画たり得るかどうかが、ここで問われると思います。
タグ :画像の在り方
Posted by comet/コメット at 11:49│Comments(2)
この記事へのコメント comment to this article
そんなことより美術本などから無断で取り込む行為が問題だと思わないのかな?
Posted by ひまじん at 2008年07月18日 12:30
「そんなこと」って、どんなことでしょうか。
絵画の複写に伴う、画家の権利意識には、微妙なものがありまして。
日本の著作権法では、彫刻写真に写真家の著作権を認めても、絵画の複写には写真家の著作権が無いんです。単なる複写行為とみなされている。だから、美術全集から複写した場合、訴えられるかどうか、私には疑問です。特に、ご指摘のような美術本からの複写の場合、画家の著作権の期限切れが多いでしょうね。
(法律とは別に、単なる色校正であっても、そこには著作性が存在する、と私個人は考えています。)
もうひとつ、写真台頭以降の絵画において、写真にできないこと・写真に複写できないこと・絵画にしかできないことを追求しているのは、明らかで。絵画は「本物を見なければダメだ」と言うより前に、「本物を見ないと解らない」状態に、美術界全体が作り上げていると思います。
足で絵具の固まりを塗りたくるとか、絵具に砂利とかビー玉とか混ぜてあるとか、絵具自体がステンドグラスのように厚く透明であるとか。そのような絵画をデジカメで無断撮影しても、写真を見た方は「本物を見ないと解らない」「本物を見たい」という思いに駆られて、画家や美術館を利する可能性が高い。
絵画自体が、写真の出現に合わせて、コピープロテクトを組み込むようになっています。
それとは別に、写真印刷に能動的に迎合し、印刷のために絵を描く職業が派生します。イラストレーターとかグラフィックデザイナーと呼ばれる。古くは図案家とも言う。ロートレックのような画家の例は、当時、版画家と画家が分化していなかったことを示しています。版画は、当時の印刷技術・複製画だったのですが、その後に写真印刷が普及すると共に、版画技術の古典化・伝統芸能化が進み、現在の版画家、いわばイラストレーターと画家の中間に位置する身分ができあがりました。この人たちの方が、複写に対する警戒意識・法的手段を取ると思います。
絵画の複写に伴う、画家の権利意識には、微妙なものがありまして。
日本の著作権法では、彫刻写真に写真家の著作権を認めても、絵画の複写には写真家の著作権が無いんです。単なる複写行為とみなされている。だから、美術全集から複写した場合、訴えられるかどうか、私には疑問です。特に、ご指摘のような美術本からの複写の場合、画家の著作権の期限切れが多いでしょうね。
(法律とは別に、単なる色校正であっても、そこには著作性が存在する、と私個人は考えています。)
もうひとつ、写真台頭以降の絵画において、写真にできないこと・写真に複写できないこと・絵画にしかできないことを追求しているのは、明らかで。絵画は「本物を見なければダメだ」と言うより前に、「本物を見ないと解らない」状態に、美術界全体が作り上げていると思います。
足で絵具の固まりを塗りたくるとか、絵具に砂利とかビー玉とか混ぜてあるとか、絵具自体がステンドグラスのように厚く透明であるとか。そのような絵画をデジカメで無断撮影しても、写真を見た方は「本物を見ないと解らない」「本物を見たい」という思いに駆られて、画家や美術館を利する可能性が高い。
絵画自体が、写真の出現に合わせて、コピープロテクトを組み込むようになっています。
それとは別に、写真印刷に能動的に迎合し、印刷のために絵を描く職業が派生します。イラストレーターとかグラフィックデザイナーと呼ばれる。古くは図案家とも言う。ロートレックのような画家の例は、当時、版画家と画家が分化していなかったことを示しています。版画は、当時の印刷技術・複製画だったのですが、その後に写真印刷が普及すると共に、版画技術の古典化・伝統芸能化が進み、現在の版画家、いわばイラストレーターと画家の中間に位置する身分ができあがりました。この人たちの方が、複写に対する警戒意識・法的手段を取ると思います。
Posted by comet/コメット
at 2008年07月22日 12:06

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